BCLブームは盛り上がりましたが 実際には お互いにラジオの性能比較くらいで遊びとしてはあまり面白みのないものでした、昼間短波放送を聴くことはなくハムバンドや違法のCB無線を聴くくらいでした。BCLの一過性ブームが去るとCB無線が流行りだしました BCLの時ほど盛り上がりは無かったのですが”ラジオの製作”で”CBer”と言う言葉を作ったり東海道線の各駅停車で東京から名古屋へCB無線行脚を行ったりしてました。ロケーションの良いところに行くと8chのトランシーバーで市内近隣の知らない局とつながったりしてBCLより遊びとして成り立ってました。
また一方ではアメリカ輸出向けの23ch違法CB無線機が低価格で売り出されていました。
アメリカのCBバンドが40chに拡張され旧式となった23chのCB無線機が国内に流れたことが原因です。BCLのラジオで受信できる周波数だったので面白半分に聴いていたものです。
80年台に入るとパーソナル無線が開始されCB無線より遥かに電波到達距離が伸びて県外の局とも通信できるように成りました。しかしクラブ抗争や違法CB調の話し方など日本人の悪い癖が出てきて何だか合法なのか違法なのか良くわからないしハムショップではスペシャルと称した高額の違法改造機がまかり通るなど混沌とした時代が有りました。当時パーソナル無線を傍受するためには特殊な受信機が必要でしたがこの頃から広帯域受信機と言うジャンルが確立し性能を競い合うように成ってきました。BCLにハマった近所の連中はみんな広帯域受信を買いました。